人間としての器
「サッカーが、うまいだけの人間なんて南米には山のようにいるんだ。だけど、それだけの人間になってはダメなんだよ」
中学校の卒業式2日後、僕はブラジルに旅立ちました。中学校時代は、目が覚めてから眠るまで、常にサッカーのことばかり。「勉強なんて必要ない。サッカーさえ上手ければいいんだ。」典型的なサッカー野郎でした。
しかし、、、。
ブラジルを始め、サッカー大陸、南米には日本とは比べものにならないほど、度肝を抜かれるような選手たちがプレーをしていました。
こんなはずじゃなかった、、、。
世界の壁を痛感したことを覚えています。
2010年9月11日(土)さわやか杯 6年生 雨間グラウンド
1試合目 vs 瑞穂三小SC 9:50 K/o
2試合目 vs 霞FCJr 12:20 K/o
「もっと、大きな器を心に持とうよ!世界基準で物事を考えていかないと!」
1試合目を0-5で落とし、チームの雰囲気が沈む中、僕は、みんなに伝えました。現代社会は、グローバル化しており、サッカーも同じことが言えます。自分自身に余裕を持ち、他人のことを考えることができてこそ、新の国際人になれると確信しています。日本という国の中だけで物事を判断していくと、どうしても行き詰まる時がやってくるでしょう。
他人のことを思いやるプレー
サッカーが、上手くても心の狭い人間は、たくさんいます。「俺がいるからチームはなりたっているんだ」そんな考えは、当に捨てるべきでしょう。トレド監督も僕も含め、トレドサッカークラブが求めているもの、、、。
人間としての器
6年生は、最後の大会となってしまいましたが、希望を捨てることはありません。ここからが新たなサッカー人生のスタートです!サッカーを愛する気持ちは永遠です。